【本】今野晴貴『ブラック企業』

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)


いろいろなところを刺激してくれる良い本です。いろいろなところを刺激されすぎてまとまらない気がしますが、次を切り口に何とかまとめてみます。

1.子を持つ親として
2.部下を抱える上司として
3.企業の労務トラブルシューターとして
4.事象の背景・内在的論理を読み解きたい思想・歴史好き、そして法曹の端くれとして

1.子を持つ親として


子を持つ親として許しがたいと思ったのが、とあるIT企業の新入社員の大量募集と退職強要の仕組み。


要するに大量募集して、利用価値の有無を選別し、利用価値のない社員は、「カウンセリング」という名の戦略的パワハラを徹底的に行い、欝などの精神的疾病を引き起こさせながら、自己都合退職へもっていく、そして翌年また大量募集ということ。

そんな仕組みを概括した箇所は次のとおり。

《まず、この手の会社にはリストラ担当の職員がいる。彼らは狙いをつけた職員を個室に呼び出し、「お前は全然ダメだ」と結論ありきの「指導」をする。業績不振をあげつらうこともあれば、「うちの社風にあっていない」と「指導」することもある。そしてその職員が「ダメな奴」であることを前提に様々なタスクを課す。
 たとえば、PIP(Perfomance Improvement Program: 業務改善計画)と称して達成不可能なノルマを設定させ、「そのノルマを達成できないなら責任をとれ」と転職をほのめかす。達成可能なノルマを設定すると、「意識が低い」とつめよられるため、この手のPIPに入ったら逃げ道は無い。
 Y社の場合には、「リカバリープラン」と称して、精神的に追い詰めるようなタスクを課していた。坊主頭での出勤を命じたり、コンサルタント会社の集まる社ビルにスウェットで出勤するよう命じたり、他にも「コミュニケーション力を上げるために」と駅前でのナンパ、中学校の漢字の書き取りなどをさせる。いずれのタスクもやり遂げたところでその状態から抜け出せるわけではなく、当然ながら本人にとっても意味が感じられない。(中略)
 こうしたことを繰り返していると、人間は驚くほど簡単に鬱病適応障害になる。そうなった頃に、「会社を辞めた方がお互いにとってハッピーなんじゃないか」と転職を示唆するのである。「解雇してほしい」と労働者が言ったとしても、「うちからは解雇にしないから自分で決めてほしい」と、退職の決断はあくまでも労働者にさせる。
 精神障害になることは初めから想定されているため、労働者が病気になるまで追い詰められたとしても会社は躊躇しない。適応障害になったと報告した社員に「ほら、前からうちに合わないって言っていたとおりでしょ。あなたはうちに対応できないんですね」と言って謝罪させ、一緒に精神科の産業医の元へ行って「この人はうちで働き続けない方がいいですよね」と産業医に同意を求め、さらに精神的に追い込んだ例もある。
 労働者が最後まで「辞めない」と言ったとしても、病気になってしまえば後は簡単だ。休職に持ち込み、休職期間中も定期的に嫌がらせを行い、休職期間の満了まで「復職できない」と判断すればよい》(90頁〜92頁)


うむ、えぐい。自分の子供(まだ5歳ですが)が社会に出て、こんな仕打ちを受けたら、と思うとぞっとします。日本で、正当に解雇を行うことは相当大変です。それを免れるために、意図的に社員の精神を破壊するなんて。解雇要件が厳しいことは、一般論として労働者の保護になりますが、こんな地獄絵巻を見ると、果たして労働者の保護になるのか疑問です。


2.部下を抱える上司として


上にいう「リカバリープラン」を具体的に記載した次の箇所に、部下を抱える身として少しぞっとしました。

《「カウンセリング」はガラス張りのミーティングルームで行われる。中で何が起こっているのかは、同フロアの従業員から丸見えである。そこで、執行役員と2人きりになった社員は、ひとまずやさしくどのような人生を送ってきたか尋ねられる。そしてその後長時間にわたって、人生の失敗を掘り返しては自省し、自己否定を繰り返させられるのだ。もし、ミーティングルームに呼ばれた社員に大学浪人の経験があったとしたら、執行役員はなぜ浪人したのかと聞くだろう。そういったより重要なコンプレックスを引き出しては、なぜ失敗したのか考えるよう指示し、数十分、ときには数時間放っておいた後に、考えた末の理由を問う。その後、また問いを重ね、放置。同僚や先輩社員に状況が筒抜けのミーティングルームで、幾度も幾度もコンプレックスの抉り出しと自省を重ね、徹底的に自己否定することを強いられる。》(34頁〜35頁)


私は、上司からグチグチ言われるのが嫌なので、なるべく部下にはグチグチ言わないことを心がけています。ただ、同じミスを繰り返し続けている人には、グチグチいわざるを得ません。で、ミスをして、「改善策は?」と聞くと、「もっと注意深くやります」「じゃあ頑張って」というやりとりを、何回か繰り返していたので、メーカー風に「5つのなぜ」を1つずつ考えさせています。クビにするとか、精神的圧迫をかけるつもりはないのです。効果的な改善策を自発的に考えてほしいという配慮なんです。とはいえ、いいかげんにして欲しいなあと思うこともしばしばです。「5回なぜをやる」のは結構きついです。しかも人生とか人格に遡らざるを得ない場合もあります。そんなわけで、結構危ない橋を渡っていたのだなあとぞっとした次第です。とはいえ、「パワハラと適切な指導は紙一重」という至って平凡な帰結に過ぎないんでしょうが。


3.企業の労務トラブルシューターとして


私はへっぽこですが、一応、所属する企業では労務トラブルシューターです。
まず、上で挙げた退職勧奨テクニックは、さすがにパワハラなんであれですし、退職強要をソフトに行う企業が現れ始めているという記述には、「ほお」と思いました。引用しますが、微妙にパワハラ該当しそうなものもありますし、普通に退職勧奨で使われるものも含まれています。いずれにしても証拠として残りにくい類型のようです。。。

挨拶に返事をしない
「どうしたいの?」と定期的に言われ続ける
「能力が低いから他の道を考えた方があなたのためだ」
「この仕事に向いていないと思う。あなたのためにも他に合った仕事を見つけた方がいいのでは」
「仕事ができないなら、違う仕事を紹介できるけど」
仕事を与えない
自分で仕事を見つけてきても一切評価しない  (118頁〜119頁)


次に、筆者は、上のような虐待を受けている若者に対して、辞めてしまえまたは戦えとアドバイスしてます。具体的な心構えなどは次のとおりです。言葉は悪いですが、「敵を知る」と言う意味で有益です。肌感覚として、若い労働者はどんどん労働法の知識がついてきており、逆に、一時的に対応する現場のマネージャークラスが全く労働法の知識がないという、情けない情報格差が進行している気がします。あと、外資系のトップが、日本の労働法制を知らずにトップダウンですごいことやっちゃうとか。まあ、若い労働者は自分の事だから必死にネットで調べますからね。その意味で、相手方労働者は次の事項を踏まえた上で戦っているという前提で、準備をした方が紛れがないと考えました。

5つの心がけ
「自分が悪いとは思わない」(126頁)
「会社のいうことは疑ってかかれ」(127頁)
「簡単にあきらめない」(128頁)
「労働法を活用せよ」(129頁)
「専門家を活用せよ」(130頁)

争う手段
個人加盟ユニオンを通して
労働審判制度を通して


4.事象の背景・内在的論理を読み解きたい思想・歴史好き、そして法曹のはしくれとして


この本では、主に大量に採用した若者を選別して退職強要するブラック企業、大量に採用した若者を使い捨てするブラック企業について記述されています。
また、週刊東洋経済2012年11月17日号では、明日はわが身の「解雇・失業」と題して、主にリストラという切り口で、中高年の退職強要などについて特集が組まれています。

週刊 東洋経済 2012年 11/17号 [雑誌]

週刊 東洋経済 2012年 11/17号 [雑誌]


要するに、従来型の雇用システムの崩壊が顕在化してきたということなのかなと。崩壊の背景は、冷戦構造の崩壊であると佐藤優氏は指摘します。ちなみに顕在化の背景はリーマンショックなのかもしれません。

人間の叡智 (文春新書 869)

人間の叡智 (文春新書 869)


冷戦下では、社会主義体制になるのを防ぐために、つまり、資本主義体制を維持するために、資本主義体制の国々は、《経済過程に干渉し、福祉政策や失業対策など、企業の利潤追求の妨害になるような政策をあえてと》りました(佐藤・前掲書 15頁〜16頁)。また、ヒト・モノ・カネの移動は東側、西側との壁に阻まれていました。
そんなわけで、《賃金に「下方硬直性」があ》ったわけです。(佐藤・前掲書16頁)
ところが、ベルリンの壁が崩れ、ソ連が崩壊しますと、《東西をへだてていた壁はなくなり、(中略)資本の論理のみによって労働者から搾取、収奪を強めていけばいいということになる。(中略)それによって「賃金の下方柔軟性」ができてしまった。だからあなたの給料はあがらない、いや下がり始めたのです。》(佐藤・前掲書 17頁)

非常に説得的な言説と思います。自分の言葉で現状を多少まとめなおすと、(1)資本の暴走に歯止めがかからなくなった、(2)世界各地の企業を相手に競争をしている企業に余裕がなくなっているということかと。


若者を教育せずに使い倒すだけ使い倒すブラック企業や、教育しなくても貢献できる人材だけを手間隙かけずにセレクトし残りは捨てるというブラック企業は、まさにむき出しの資本そのものです(上にいう(1))。週刊東洋経済で特集が組まれている中高年のリストラも、余裕のなくなった(上にいう(2))資本がなりふり構わず生存しよう(上にいう(1))というあがきという整理ができます。


今野氏(『ブラック企業』の著者)は、前者を念頭に、国家は、退職勧奨に不可欠な広範な業務命令権の制約、労働時間規制、過労死や鬱病を出した企業への厳罰、雇用保険制度の拡充、職業訓練の充実、紹介予定派遣の廃止などを行うべきと主張します。


なるほどなあと思うのですが、一つ残念だったのは、解雇の要件の緩和には言及していないこと。
上でも述べましたが、解雇要件が厳しいことは、若者の精神を破壊した上で自主退職させるというブラック企業の手口の重要な原因である事は否定できないはずです。また、人材派遣会社に居た人間の肌感覚として、解雇要件を緩和すると、新たに社員(特に正社員)を雇用する事に企業側も躊躇がなくなり、求人数の増加が見込める気がします。さらに、企業で労務を多く手がけている人間の肌感覚として、労働者保護ばかりを強く追い求めると、逆に企業は雇用をしなくなって、結果として労働者の保護にならない場合があることを懸念します。


その意味で、先ほどから何回か言及している週刊東洋経済2012年11月17日号の次の記述が興味深いです。


《経営環境の変化や経営者の内実に、裁判所は理解を示す。
 これまで日本企業の前に断崖絶壁のようにそびえ立ってきた解雇規制を、企業の実情変化に合わせて、柔軟に解釈するようになった。抽象的な労働法の記述が、解釈に幅を与えている。》(東洋経済・37頁)


ここにいう「裁判所」とは、解雇規制ではない気がするのですが、おそらく昨年末の某外資系の退職勧奨の東京地裁判決を言っているものと思われます。
もっとも、先月末の東京高裁の判決では、退職勧奨の適法要件は東京地裁の判決から従来の一般的なものに戻った印象ですが。。。


まあ、そういう細かい問題はともかく、東洋経済の特集が言いたかったのは、解雇規制が骨抜きにされたり、明快に無視している実情が顕在化しているということですね。レビューしている『ブラック企業』も同じ問題意識でしょう。他人事みたいで恐縮ですが、従来型の雇用システムが、むき出しの資本主義のグローバル化で身もだえしているということかと。


とはいえ、解雇要件が緩和されて、その反面、業務命令権が狭くなったとしても、企業がそれを守るかしらという懸念はあります。あと、解雇されないように仕事を頑張りすぎて、疲弊するという類型は、さらに拍車がかかるかもしれません。精神を破壊する事に躊躇せずにハラスメントを行い自主退職にもっていくことは少なくなるとは思いますが。


現状の制度を変えないとはいけないという、筆者の問題意識には全面的に賛成ですが、何かが足りない気がします。ヒントらしきものをまたも佐藤優氏の著作から。


《資本主義を規制できるのは過去の経験において一つしかない。国家です。国家独占資本主義です。しかしこれが機能したのは、社会主義革命を阻止するという強力な動機があったからです。いま起きている新自由主義の蔓延と資本主義の暴走は、脅威になる対抗イデオロギーがないのが原因です。
 暴走を止めるための対抗エネルギーはやがて必ず出てきます》(佐藤・前掲書223頁〜224頁)

対抗エネルギーが何かについては、佐藤氏は言及していません(と思います(汗))。
私なんぞ想像もつきません。共産主義国家の持つイデオロギーは現状では脅威ではないですしね。<脅威になる対抗エネルギー>とは何かを折に触れて考えてみます。


問題点は指摘しましたが、非常に良い本です。自分の中のいろいろなところを刺激されて、これまで読んでいた本やらが有機的につながり、長い長い投稿になったのがその証です。