ピンチをチャンスにするアイディア

ピンチをチャンスにする巴投げのようなアイディアを見つけました。新党大地代表の鈴木宗男氏のブログ「ムネオ日記」(2014年4月20日分)です。

ウクライナ問題をチャンスととらえ、アメリカの言いなり、アメリカに引きずられていると、受け止められない外交が求められる。
EUアメリカが、クリミアでのロシアの動きを戦後の国際秩序である領土不拡散に反すると言っているが、ロシアは領土拡大の意志は全くないといっている。
「国際社会が領土拡大というのなら、北方領土は日本に戻しましょう。これが何よりの領土不拡散の証です」とロシアに言わせるような外交をやって欲しいものである。
http://www.daichi.gr.jp/diary/diary_2014_04.html

ただただ感心してしまうのですが、折角なので、こういう素敵なアイディアが浮かぶロジックを解明してみます。

順番は、まずこの問題に関する私の頭の中の理解と考えについて、次に鈴木氏のアイディアとのギャップを明確にし、最後に纏め、という3ステップで行きます。


1.私の頭の中


(事実)

(1)北方領土問題解決のために日露間で準備が着々と進んでいる中、ウクライナ問題が発生した。
(2)米国・EUはロシアを批判している。


(問題点の整理)

(1)北方領土問題解決だけを考えれば、日露間で協議を継続するのが望ましい。
(2)他方で、協議を継続すれば、米国・EUとの関係が悪化し、例えば中国が尖閣諸島に侵攻してきた際に、米国が助けてくれないという懸念がある。また、ロシアの一連の行為がウクライナの領土を縮小するものであるという解釈をとれば、日露間で協議を継続することはロシアの一連の行為を許容することとなり、中国による尖閣諸島への一連の干渉を勢いづかせる懸念がある。


(考え)

(1)ロシアが、米国・EUに譲歩する余地があるのであれば、日本が米国・EUとロシアの仲介をすることが考えられる。しかし、佐藤優氏の著作によれば、ソ連・ロシアの領土に関するスタンスは、自らの領土の周りに緩衝地帯を設けないと安心できないというもの。そこから推論すると、これまで緩衝地帯としていたウクライナが緩衝地帯でなくなったことは、ロシアとして許容しがたく、新たな緩衝地帯を設ける方向で動くであろう。その意味で、ロシアが米国・EUに譲歩する余地は少なそう。
(2)譲歩する余地が少ないのであれば、リスクを比較して、リスクの小さい方を選択せざるをえない。尖閣に侵攻されるリスクは、実際に武力衝突がおきたり、爆弾が日本に飛んできたり、日常生活やビジネスへの支障が甚大。他方で、北方領土問題が解決しなかったとしても、戦後からずっと未解決にて、さしあたり支障が生じることは考えにくい。とすると、尖閣に侵攻されるリスクを優先せざるを得ない。
(3)以上より、ほとぼりが冷めるまで日露間協議を断念せざるをえないのではないか。

2.鈴木氏のアイディアとのギャップ

本当のギャップは、当事者意識の強弱、真剣に考えているか否か、頭の良し悪しだったりするのだとは思いますが、再現可能という観点から(汗)、テクニック的な観点に絞ります。


ギャップの1つめは、上の考えの(2)の次の箇所。

譲歩する余地が少ないのであれば、リスクを比較して、リスクの小さい方を選択せざるをえない。


短絡的に二者択一問題にしてしまった私。それに対し、鈴木氏は、二者択一問題にしていません。
例えるなら、私は1次方程式、鈴木氏は連立方程式。スケールが違いすぎます。


ギャップの2つ目は、上の考えの(1)の次の箇所

ロシアが、米国・EUに譲歩する余地があるのであれば、日本が米国・EUとロシアの仲介をすることが考えられる。


無意識に、ロシアの譲歩の有無という問題に帰結してしまう視野の狭い私。それに対し、鈴木氏のアイディアは、二者択一どころか、北方領土解決を足掛かりに、米国・EUを譲歩させるもの。ロシアの譲歩の有無は米国・EUの譲歩の有無と裏返しであることを前提に問題を考察されていることが伺えます。



ギャップの3つ目は、もう端的なんですが、鈴木氏の次の記述。

「国際社会が領土拡大というのなら、北方領土は日本に戻しましょう。これが何よりの領土不拡散の証です」とロシアに言わせるような外交をやって欲しいものである。


ウクライナ問題も北方領土問題も「ロシアが抱えている領土問題」という点で括って考察されていることが伺えます。言わずもがななのかもしれませんが、私はこのように括ることができませんでした。


ギャップの4つ目は、鈴木氏の次の記述。

ロシアは領土拡大の意志は全くないといっている。


このロシア側の声明については「そんなわけないだろ!」といった風情で、無意識ながら無視していた気がします。仮にこの声明を「建前」とするならば(あくまで仮にですよ。)、「本音」ばかりみていた私。何を本音とし建て前とするかはさておき、本音と建前の使い分けを意識するということでしょうか。自分自身の問題でしたら、本音と建前の使い分けは意識的にできますが、他者の本音や建前は、どちらかだけを見ることになりがち。相手の立場になって、否、相手になりきって考えることが必要なんでしょうね。


3.まとめ

まだ抽象化が足りない気がしますが(特に(1))、さしあたりのまとめは次の通り。(2)(3)(4)はすぐにでも使えそうです。

 (1)安易に二者択一問題にしない。連立方程式的に考えられないか考えてみる。
 (2)表面がダメだったら、逆・裏から考えてみる。
 (3)一見別と思われる問題でも、共通点がないか考えてみる。
 (4)建前だけみてないか、本音だけみてないか省みる。
 (5)相手になりきって考えてみる。


B to Bのメーカーですと、本来的な義務である製品の品質以外のところで、それはそれは面倒な要求を受けることが多いです。私の頭の中にあるのはお金や手間のかかるCSR関係の要求なんですが、原価や販売管理費が余計にかかるという意味ではピンチな要求です。そんなピンチをチャンスに変えられないか、いつも考えていますが、鈴木氏の上のようなアイディアを思い浮かべながら、さらに思考を深めていきたいです。