【本】安田佳生『私、社長ではなくなりました。』

私、社長ではなくなりました。 ― ワイキューブとの7435日

私、社長ではなくなりました。 ― ワイキューブとの7435日


ワイキューブという会社を設立した筆者による、同社が民事再生に至るまでの、サラリーマンにとっては「おとぎ話」。
おとぎ話でありつつ、自分は真剣に生きているのかを考えさせられる本。


満員電車に乗るのが嫌で、勤めたい会社がないから、会社を立ち上げる。
重くて分厚い営業カバンが嫌で、会社を設立してすぐに薄いカバンを買う。
会社を大きくするために、年間の売り上げが3千万円のときに、月の賃料が1千5百万のオフィスを借りる。
自分が営業電話をしたくないから、部下にもやらせたくない。よって営業電話部隊を解散する。
社員のモチベーションを高めるため、利益が出る前に社員の年収を上げる。
利益が残らなくても、優秀な人材と会社のブランド力があれば、売上や利益は後からついてくると考えた。
オフィスに専属のバーテンのいる社員専用バーをつくる。
最盛期には、新卒マーケットのシェアを10%確保。


会社で働くの嫌だけど、仕方ないよねと働いている会社員にとっては、夢みたいな話ですね。
千円札は拾うな。』などの本も売れ、私も刊行直後によみ、なんて良い会社なんだろうと思ったのを記憶しています。


その後、マーケットが飽和状態になり、次にとった策がうまくいかず、そしてリーマンショック、最終的には42億円の借金が残り、会社は民事再生へ。
簡単に言うと、42億の借金を1.6億に減らしてもらい、残りの借金を事業を続けながら返していくこととなりました。


借りた金を返せないので、ゴメンナサイという点では、年金の運用を託されたけど、駄目でしたっていうAIJだって一緒ですね。
借りたお金の性質や返せない額も違うし、著者は一生懸命やったのに駄目だったAIJはうまくいかないのを隠していたとか、いろいろ違いはあります。
しかし、AIJの社長の方がこんな本を書く場は与えられないでしょう。著者がベストセラーを何回も出しているとはいえ、お金を返せないという点では一緒。
取りようによっては、法的な責任がないとはいえ、お金を返さなかったことについて、筆者は反省し、申し訳ないと、本当に思っているのかなと、疑ってしまう記述もあります(笑)。

≪怒られるのを承知で言ってしまうが、私はこの二十年間を本当に楽しんだ。
 後悔も未練もまったくない。もう一度同じことをやってみろと言われたら、喜んでやってしまうだろう。
 最後の数年間を含めてつらかったこともたくさんがあったが、そんなものとは比較にならないくらい私は人生を楽しんだ≫(204頁)

この本の印税がワイキューブの借金返済に充てられる可能性はあるんでしょうが、細かいことは視野の外に置いて、気になるのが、なぜ、AIJの社長の方にはこんな本を書く機会は与えられない(おそらく)のに対し、著者には与えられたのか、ということ。


そのヒントの一つは、次の記述にあるのかなと思います。

≪いかに、やりたくないことを避けて、ラクに生きられるか。
 それをまじめに考えて生きている人のほうが、やりたくないことに不満を並べながら流されて生きている人よりも、よほど真剣に生きていると思う。≫(40頁)

私も含め、やりたくないことに不満を並べながら流されて生きている人のほうが多いと思います。そんな人にとって、著者の考え方は、痛快で、自分の夢をかなえてくれるような気持ちになるのかなと。

その意味で、結果として会社の経営に失敗したとしても、それを超える魅力が著者にはあるのでしょう。それが、このような本が出版された理由の一つなのかなと。


翻って自分。このまま流されて生きていくことでよいのかと考えてしまいます。他方で、面倒くさがりなもんで、著者のように数多くの常識に反旗を翻すような気力に圧倒されてしまうのも事実です。


他方で、筆者は(失礼ながら)「1をきいて10を知る」タイプではありません。1,2,3,4,5,6,7,8,9,10と経験して、いろいろ考えてやっと1がわかるタイプかと。その意味で、とても親近感がわきました。

まずは、なんとなく常識と思っていることについて、クネクネグチグチ考えてみよう。それをブログに書いてみよう。もう少し真剣に生きてみよう。