【本】山口義正『サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件』

サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件

サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件

オリンパスの事件をスクープした筆者による、同事件の生々しい記録。
同社の社長を解任されたウッドフォード氏が筆者に「日本人はサムライなのか愚か者なのか」と問うたようですが、それが本のタイトルになっています。
ここにいう、「サムライ」とは、オリンパスの不祥事を正そうとした同社の社員、筆者のことなのかと。
「愚か者」とは、ウッドフォード氏を解任した元会長・社長の菊川氏と同調する経営陣、広報担当、筆者のスクープを後ろ向きにしか検討しなかったマスコミ、今回の粉飾を指南した某証券会社の人間、同社を上場廃止にしなかった証券取引所(や、筆者の主張に沿えばその裏で糸を引いている人)のことかなと。


1.「キー」とならずにもう少し冷静に


いきなりですが、「サムライ」か「愚か者」かという二者択一な物言いや、本書も含め、オリンパス事件に対して、「愚か者はひどい、厳罰に処するべきだ、こんな愚か者が出ないように関係法令を改正すべきだ、会社もガバナンスやコンプライアンスのあり方を見直すべきだキー」という論調が多いように感じますが、これについては、仕方ないところもあるとは思いますが、それを差し引いても違和感があります。


●冨山和彦氏は、「社外取締役は企業不正を防げるのか」 会社法務 A2Z (エートゥーゼット) 2012年 03月号 [雑誌]で、興味深い指摘をしています。

大王製紙の不正事件は万国共通でわかりやすいケースです。オーナー会社において、オーナー兼経営者が強烈な権力を持つ場合、その権力者がよからぬ方向に動いてもそれを止めるメカニズムを持ちづらいのです。
 他方、極めて日本的な不正事件がオリンパスのケースです。日本企業は非常に同質的で年功的なムラ社会組織です。そのようなムラ社会的構造の中では、圧倒的な権力者がいなくても、この手の不正は起きるのです。
 共同体の調和、防衛が重要なので、例えば会社・共同体の根本や生命にかかわる不祥事は隠蔽したくなってしまうのです。≫(9頁)
≪サラリーマン社会の究極世界は、共同体(企業)の調和・存続と自分の人生や自己保存などの人格が一体化してしまいます。≫(同9頁)
≪同質的で有機的に強く結合し、釣り合っているからこそ、すばらしい自動車や内視鏡を作ることができるのです。内視鏡技術は究極のすり合わせと言えます。極端な話ですが、オリンパス内視鏡で世界を席巻した根っこの部分と今回の不正は、非常に共通項が多いのです。ですから、この日本型の不正構造は非常に難しいですね。≫(同9頁)

つまり、オリンパスの不祥事と同社の素晴らしい内視鏡技術とは根っこが一緒であると。
この分析が正しいとすれば、「愚か者」が出ないように、関係法令を改正すべきだ、会社もガバナンスやコンプライアンスのあり方を見直すべきだという論調は、「サムライ」「的」なよさをつぶしてしまう可能性があるということかと。なので、悪いことをした企業があるから、他の企業も徹底的に規制しようという論調は、違和感を感じます。それは、ウッドフォード氏が「日本人はサムライか愚か者か」と二者択一で問うたことに感じる違和感と同じなのかなと。二者択一の議論で「キー」といがみ合うのは思考停止になりがちです。平凡ですが何事も良い面と悪い面があり、良い面を殺さぬように心に刃をくわえながら、悪い面を少しでも減らしていくという議論の仕方をするべきではないでしょうか。さもないと、問題の解決にならないどころか、さらなる悪夢を招来してしまうのではないかと。


続けて、冨山氏は次のように指摘します。やや専門用語があるので、箇条書き風に私の理解をまとめます。

(1)日本企業の法規制が多すぎる。これでは、監査法人法務省が会社経営しているようなもので、このような法規制は緩和する方向で考えるのが、会社法制見直しの本質である。
(2)株式会社は、無限に責任を負う組織でないにもかかわらず、裁判ではそのような方向の判決が出ており、経営者を萎縮させているし、投資家を保護しすぎている。
(3)リスクある経営判断を尊重するのが主で、法規制は従というのがあるべき姿。ただし、判断に至る十分な情報がフェアに開示されているかは重要。たとえば、オリンパスの事件で、粉飾決算は違法だが、買収する会社の価格が高いか安いかの判断は経営者の判断で違法か否かの話にならない。

本書を読むと、「買収価格」を上程した取締役会では、その資料に嘘があったようですが、これは「簡単に言えば」違法でしょう(正確には手続の瑕疵かもしれません)。この点を視野の外に置くと、確かにオリンパスの事件は悪質であるけれども、こういった事件があったからといって、どこに問題があるのかをさほど検討せずに、ただ法規制を強めるのは、日本企業の「サムライ」的な側面をつぶすだけなのではと危惧しています。突き放して言うと、どんなルールがあってもそれをすり抜けてお金を稼ぐ愚か者がいるというのが、資本主義の本質なんじゃないでしょうか。それを踏まえ、サムライをつぶさずに、愚か者が跳梁跋扈する余地を少しずつ減らすのが法律の役割と思います。愚か者をつぶそうとして、経団連など企業側の圧力で中途半端に修正し、結果、愚か者をつぶせず、サムライが疲弊するような法改正にならぬことだけを祈ります。


以上、まとめると、オリンパスの事件を感情的に「キー」と批判しすぎると、結果としてリスクのある株式会社という形態に投資する人間への過度な保護になるのではないでしょうか。少し難しい言い方をすると、株式会社制度の原則を捻じ曲げるもので、結果として、日本の株式会社がリスクを負った判断をしなくなることを懸念します。その意味で、筆者の憤りは理解できますが、今後の会社法制の改正という点を考えると、憤りを冷静に腑分けしてみるのが必要だと思います。



2.官製粉飾決算について


オリンパスがさしあたり上場維持となったことについての筆者は次のように述べます。

東証の判断は果たして上場維持だった。(中略)
 堀江貴文が率いた旧ライブドア粉飾決算が一期で五〇億円の経常利益水増しで上場廃止となり、堀江が獄中生活を送っているのに対し、オリンパスは約二〇年もの間、一〇〇〇億円を超える自己資本の水増しを行ってきたこととバランスが取れないのは明らかだった。長年にわたって財務内容を偽っていたのだから、その間の株価形成を歪め、国内外の多くの投資家の判断を誤らせて大損させたのは言うまでもない≫(205頁〜206頁)
≪これでは日本の経済社会全体がオリンパスに再度粉飾決算を是認し、黙認したようなものだ。こうした判断に、巷間噂されているような政治サイドや中央官庁の意向が働いているとすれば、これは「官製粉飾決算」と言って差し支えない。≫(213頁)

「官製粉飾決算」がどうかはともかく、オリンパスの事件では上場維持の判断が相当恣意的であることがわかります。筆者はオリンパス上場廃止にならなかったことに憤っているようですね。それはそれで理解できるのですが、私はこの事件から波及する効果を懸念します。上場維持となった理由は、東日本大震災、電力不足、円高にもかかわらず、世界でトップシェアの製品を持つ日本を代表する企業でインパクトが大きすぎるからかもしれません。それでは、トップシェアの製品を持つ企業は粉飾決算をしても上場維持できる悪しき先例になることを懸念します。


3.凄まじい抵抗について


お叱りを受けてしまうかもしれませんが、本書で挙げられているオリンパスの菊川氏や同社の広報担当などの抵抗の数々は、資本家の犬として(笑)企業をさまざまなトラブルから守るのが職務である私にとって、非常に参考になります。箇条書き風にまとめると次のとおり。

(1)筆者の最初のスクープの後、オリンパスは、訴状や抗議文も出さず、無視を決め込みつつ、スクープ直後から、広告を出稿し、マスコミを味方につけようとしていた。
(2)財務経理の金庫番を欧州と米国に異動させた。
(3)コンプライアンス部門を会長の菊川氏直轄にし、内部告発を握り潰せるようにした。
(4)2009年に、一連の買収がおかしいのではというと監査法人の指摘を受け、外部の会計士や弁護士に作成させた報告書があるが、そのメンバーも大甘に評価しそうなヒトを選んだ。一週間簡単なヒヤリングを行っただけで、報告書の結論は問題なし。
(5)事件発覚後の第三者委員会の委員も、都合のよい報告書を書いてきれそうなヒトという観点から選んだ。実際は、都合の良い報告書は出なかった。(多少都合がよかったのかもしれませんが、評価は分かれるでしょう)
(6)表紙のマル秘の位置を微妙に変えたり、文面を変えたりした、情報を社内外にだし、情報の流出先を突き止めようとした。

特に、(1)と(6)は、インテリジェンス能力が高いなあと、感心しました。こんなノウハウを持っているなんて。動機は「愚か者」ですが、やっていることは高度で「サムライ」とするのはこじつけが過ぎますでしょうか。。