【ローマ人の物語(その1)】 塩野七生『ローマ人の物語』を読み直す前に

 塩野七生ローマ人の物語』は、こんな出だしから始まります。

≪知力ではギリシア人に劣り、
 体力では、ケルトガリア人)やゲルマンの人々に劣り、
 技術力では、エルトリア人に劣り、
 経済力では、カルタゴ人に劣るのが、
 (中略)ローマ人である(中略)。
 それなのに、なぜローマ人だけが、あれほどの大を成すことができたのか、一大文明圏を築きあげ、それを長期にわたって維持することができたのか。(中略)
 衰亡も、(中略)覇者の陥りがちな驕りによったのであろうか。
 これらの疑問への回答を、私は急ぎたくない。人々の営々たる努力のつみ重ねでもある歴史に対して、手軽に答えを出したのでは失礼になる。また、私自身からしてまだはっきりとわかっていないのである。史実が述べられるにつれて、私も考えるが、あなたも考えてほしい。
 「なぜ、ローマ人だけが」と。

 それでは今から、私は書き始め、あなたは読みはじめる。お互いに、古代のローマ人はどういう人たちであったのか、という想いを共有しながら。≫
塩野七生ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)』(20頁〜21頁)

 
 実は文庫本の33巻まで読んだのですが、罫線入りの本みたいに線を引いてしまいました。このまま「いやあ〜ええ本ぢゃ」と思うだけで読み進めるのに、忍びなくなりました。再度読み直し、箴言を書き留めておきたい、と思いました。


 箴言を書き留めるだけでは芸がないので、それに加えて、次の視点から、思いついたことをダラダラ書いてみようと考えました。


(1) 古代ローマ人が≪あれほどの大を成す≫(20頁)ことができた理由の一つである「寛容」の精神の内容を、他の時代や現在の日本と比較する。
(2) キリスト教国教化前の古代ローマでの法律のあり方は、日本の法律のあり方との共通点はないか。


 上の(2)について補足します。
 ローマ帝国の最盛期は、キリスト教を国教にする前にあると理解しています。古代ローマ人は法律の民でした。キリスト教の影響を受けていない多神教古代ローマの法のあり方がその帝国の最盛期を導いた理由の一つではないかと、仮説を持っています。
 対して、日本が明治維新以来欧米から継受した法は、キリスト教の影響が強いと感じています。明治維新以前から、日本にも法なるものは存在していました。中国の影響を受けつつ、それを土着化していった法が存在していました。
 キリスト教圈でない多神教と言われる日本は、明治維新以降、竹に木を継ぐような法の継受をしたのではないかという仮説をもっています。欧米から継受する前の日本の法と、キリスト教の影響を受ける前のローマ法との間に、多神教という点で共通点がありますが、具体的に何か共通点がないか。


 学者が一生かけてもなお語りつくせなさそうな難しいテーマです。読まねばならない文献がたくさんあることもなんとなくわかります。そこから得られる示唆を自分の仕事である企業法務やコンプライアンスに生かせないかというスケベ根性までもっています。せっかく給料をもらっている法務の仕事と大好きな歴史とをつなぐ接点がみつかったのですから、あまり気張らずに、コツコツ考えていこうかと。