言い訳を考えながら仕事をしよう

「なぜ、その一球を選択したのか」「なぜ、他のモノは捨てたのか」を明確に認識してこそ、プロフェッショナルと言える。

プロ野球の野村(元)監督の言葉です。TwitterのNomuraBOTから。故に、出典明示できず。


プライベートや人生でこんな風に判断を認識するべきか否かはよくわかりませんので、仕事に絞って掘り下げてみます。仕事のうち、経営判断とか直観やアートの世界ではなく、それ以外の仕事に絞って話を掘り下げてみます。


自分が仕事でした判断の理由を明確に認識するってことですね。


仕事をしていて、漫然と下した自分の判断が常に正しいまま仕事人生を終えられる人は幸いですね。多くの人は、自分が漫然と判断した誤りを他者に指摘されるなり、仕事がうまくいかなかったという形で暗に誤りを指摘されることが多いのではないでしょうか。


こんな風に指摘された場合に、「うるせえなハゲ」「私はいつも正しい」と思ってしまう人や、漫然と判断していることすら気が付かない人は、ご勝手に。


この段階だと、仕事でミスをしても、何も考えていないですから、反省や改善をする際に、ネタがないんですよね。ネタが「なぜ何も考えていないのか」「少し考えて判断しろ」だけになってしまいます。反省や改善の糸口さえない状態。気が付かない人を気付かせるのは大変です。おまけに、その判断をすることのインパクトがわからないので、本人からすれば「なんでそんなにおこるんですかあ」ということになりがちで、それはそれで面倒。


漫然と判断している今の状態を少しでも良くしようと思うなら、言い訳を考えながら仕事をすることかなと思ってます。言い訳を口にするのはよくないですが、言い訳することを意識するのは大事だと思います。


言い訳をするってことは、自分が責任を負う事態になることを想像するってことですね。そこから、このマターは自分で判断してよいのか、判断しては駄目なのかの感覚を研ぎ澄ますことにつながります。この感覚を研ぎ澄ますと、自分が今どのマターには判断できるか否かがわかりますので、ステップアップするための課題も明確になりますね。


あと、こういう頭のなかがぐちゃぐちゃになっている方は、「意識せよ」というだけではダメで、言い訳を文章にしてみるなり、言語化させると、効果的です。頭の中で考えていることと、文章を書くこととの間には、長くて深い河があります。


言い訳をしだしたら、さらに次のフェーズ。言い訳を考えるポイントに漏れがあったらそこを指摘してあげる。言い訳を他者に話すときに説得的にするためにどうしたらよいかをアドバイスしてあげる。


このフェーズを超えれば、ある程度仕事を一人で任せられる人間になるかなあとは思います。
逆に言えば、自分が仕事でした判断の根拠を明確に認識し、それを説得的に説明できない人は、そのような判断を求められない単純作業系の職種に従事せざるを得ませんね。


あくまで、アート系以外の仕事を念頭において話をしましたが、野球はかなりセンスというものに左右されるアート系の仕事だと思います。そんな職種ですら、判断の根拠を認識することが重要との、野村(元)監督の指摘には、アート系でない仕事をしている私は襟を正さざるをえません。


エラそうなこと言っていますが、もっと良い判断ができないか、もっとわかりやすく説得的な説明はできないか、そんなことを求めて本を読んだり、素敵な先輩から話を聞いたりして、勉強中です。果てしないですね。。。人生なんてそんなもんかもしれません。